Hummming

フンフンフン

誰のために

思えばイベントのことばっかりしか書いてないなー。すいません。
あと地震のこと。地震のことも本当はもう少し書きたい。


今は何をしているかというと、次のイベントの準備を進めてます。
またイベントだよ。気がつけば抜けられなくなってる。
いつからこうなった?
別に強制されているわけではないし、いつやめたっていいんだけど。
っていうか好きで楽しくてやってるんだけど。


でも、「これでよかったのかな」とか「なんでイベントやるんだっけ」とか、
たまに考え込んでしまう。


下北沢に迷い込んで、いろんな人と知り合って、それがめちゃくちゃ面白くて。
その一方でまだ知り合ってない、出会ってない人もたくさんいる。
私の周りには面白い人や素敵な人がこれだけたくさんいるというのに。
それが歯がゆかった、勿体ないと思った。単純に、人を引き合わせたかった。


昨日、とあるお店で、初めて会った人に「友の会」の話をした。
何のために、何をゴールとしてイベントをやってるのか。
うまく説明できなかった。
いや、説明したけれど、ちゃんと伝わらなかった。
伝わってないと分かった途端、じゃあ何て説明すればいいのか分からなくなって
一言も言葉が出なくなってしまった。喩え話ではなく、たった一言さえも。
返答を求められても、言葉が出ないのだから、愛想笑いをするしかなかった。
(愛想笑いはすぐにできた。それはそれでびっくりした)


世の中には自分でイベントを組んでいる人なんてたくさんいる。
規模もジャンルも拠点も様々で、そりゃあもう、掃いて捨てるほどいる。
いくら考えていても、どんな思い入れがあっても、自分は違うと思っていても、
「イベンター」という括りの前では単に「イベントを企画する人」でしかない。
説明できなければ、伝えられなければ、思い入れも個性もないのと同じだ。


この間のイベントで分かったことの一つに、
「私は自分自身のためにイベントをやっているのだ」ということがある。
震災後「元気のない、笑顔の減ったみんなのために」と開催した企画だった。
結果、イベント自体はとても盛り上がったし、お客さま方からも
「こんな素敵な音楽を聴けて贅沢だ」「CDを買ったよ」「楽しかった!」
とたくさんの温かい声を頂いたのだけれど、
私自身は正直、裏方での失敗を引きずっていて手放しで喜べなかった。
自分で自信を持って提供できるような、良いイベントを作ること。
そしてそれに対して評価を受けること。どちらが欠けても私はうれしくない。
「みんなのために」だなんておこがましい、
自分のためにやっていたんだなあ、と思い知らされた。


「みんなのために!みんなが楽しんでくれればそれでいいんです!!」
そう断言できていたら、昨日会話が途絶えることもなかったのかもしれない。
でも、なああ。