Hummming

フンフンフン

写真とその魅力について

友人でもある、私の好きな写真家がmixiで書いていた文章を転載します。


彼とは同じバンドが好きで、公式サイトのBBSで出会いました。
出会って間もなくの頃だったと思うけれど、池袋あたりで個展を開くことを知って、観に行って。
私は彼の作品を見て、息が止まるというか、胸がいっぱいになって、涙を流したのでした。
それからは、作品展があるたびに京橋やら国分寺やら足を運んでみたり、
年賀状やメールのやり取りをしたり、作品展のPOPにコメントを寄せたり、
飲みに行ったり、等々。仲良くさせてもらっています。


私はたくさんの写真家の作品を見てきたわけではないので、詳しいことは言えないのだけれど
一生懸命、感じたことや、どうしてそう感じたかを詳しくないなりに彼に話すのですよ。
彼の作品をたくさん見ていれば「この写真はいまいちグッとこないなあ」
なんてこともあったりするのだけれど、そんな話も聞いてくれて、
逆に「この写真はとても好きだ」という話も、もちろん聞いてくれる。


でもね、話しても話しても「どうしてその作品がいいのか」とか、
「どうして彼の作品に涙があふれてくるのか」とか、うまい答えが見つからないのです。
そうしたら、ある日こんなことを日記に書いていました。

(前略)
で、話は本題に入るが、例えばロモを使う事で面白く写ったとする。まぁそれはそれで良いだろう。面白くてお洒落で良い写真が撮れたという事であればそれで良いと思う。


ただ、しかしである。面白いとかお洒落だとか目先に見える偶然性ではなくて、その面白い中に何が写っているかという部分が僕にとっては写真の中で重要な部分なのだ。


説明が難しいので極端な説明になるが、例えば一人のお婆ちゃんが写っている写真がロモで撮影した写真の中に収まっているとする。ピントはボケて周辺光量は極端に落ちて、写真自体がお洒落に仕上がっているとする。でも、僕にとってはパッと見のお洒落とかはどうでも良いのだ。


そこに写っているお婆ちゃん自身を見たいのだ。お洒落かどうかではなくて、その写真自身、その被写体自身が伝える何かを、写っているものそのものを知りたいし見たいのだ。


つまりは結論から言うと、じゃぁピントはボケておらず周辺光量も落ちていない、ちゃんとしたしっかりしたカメラでバシっと撮った方が良いじゃん!となるのである。だから僕は一眼レフで撮影をする。そこに写るものをただ伝えたい、そう思うからだ。


例えばメディアアートなどにもそれが言えると思う。やっている事が面白い、楽しい、お洒落、勿論その事で人を喜ばせる事もアートとしては正しい姿だとは思う。ただ、僕はさらにその先を見たいのだ。
面白いけど、だから何?の「何」の部分が見えないと、どうしても感動する事が出来ない。メディアアートを見てそれを見ている自分さえも何かを知ったように錯覚しがちであるし、もちろんその錯覚も快楽的なものでもあるのだが、それっ「ぽい」だけでは僕はどうしても満足出来ないのだ。


けして絵画的でもなく、そこにあるものをただ写す為の写真。作家は黒子で良い写真が僕は、あくまでも僕は好きなのだ。そしてそれが写真本来の役割であると思っている。


つまりは、つまらない写真だ。極めて絵画的とは程遠く、アートなどと呼べる代物ではない。いわゆる写真だ。つまらない写真だ。僕は写真がアートである必要性なんて僕の撮る写真の中には必要ないと思っている。程遠ければ程遠いほど、写真家としての快感と怒りと悲しみと優しさと愛と、そして生き様を自分の中に感じてしまう。


ひょっとすると、今やこういう人間の方が写真を撮る人間の中には少ないのかも知れない。いわゆる昔の写真家だろう。僕は18歳で写真を始めてから時代に逆行するように過去に遡っているような気がする。おそらく僕と僕の写真は常に玉砕の道を辿るだろう。それでも自分の撮りたいものしか撮れないし撮りたくない。知識として技術として意外性のあるものを生み出せるとしても、生み出したくない。


ただ写す、そこに瞬間が写るそれで良い。黒子に徹しようとしても、そこにどうしても自分は出てしまうものだし。その零れ落ちた、漏れ出した感性が控えめに、それでも撮り手の心情として写ってしまう事が写真の一つの魅力だと思っている。


でもね、だからこそ絵画的な写真も大好きなのだ。自分に出来ない発想を持っている人、いや発想はあってもスタンスとして交わる事の無い人の撮る写真も僕は大好きだ。嫉妬させてくれるくらいの作品に出会えた時はとても嬉しい。そして、そういう写真っていうのは様々な加工が施されていても、様々な企画性に満ち溢れていても、その表面上の面白さだけではなくて、やはり「その先の何か」が写しだされている写真、描かれている写真なのだ。テクノロジーや発想力だけに頼る野蛮な偶然性ではなくて。
(後略)

ここまで読んでくれてありがとう。難しかったでしょう(笑)
彼も(私同様)、いろいろ考えてしまうし、うまく言葉が見つからないしで
深く難解な長文を書いてしまうタイプの人なので。
でも、この文章を読んで、
「ああ、だから彼の写真に私は心惹かれるところがあるのかな」
って、何となく納得がいったというか。
ちょっとだけ、マジックの種明かしをしてもらったような気がしています。


もし彼やその写真に興味を持った人がいたら、5月18日〜23日に京橋で
グループ展に参加するそうなのでぜひふらりと立ち寄ってみてください。私も行きます。
異色の写真家&作家展
Departure

>筆者殿
断りなく引用してごめんなさい。都合が悪かったらすぐにも消しますので言ってくださいね。