Hummming

フンフンフン

今夜、ぼんやり考えていたこと

この1週間、今日のためだけにがんばってきたんだ。
深夜の2時3時まで仕事しても終わらなくて空が白んできても
(まあ、全部私の手際が悪いせいだっていうこともあるけど)
全然へこたれなかった。全然、がんばれた。
どんな甘いお菓子よりも、どんなエナジードリンクよりも、
ぐんと元気が出たし、とっても幸せでございました。
私にしては異例の激甘な感想だけれど、かなり本心。
そりゃ勿論、オールオッケーってわけじゃなかったけどさ。

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「ごめんなさい」について。


以前、「ごめんって言うくらいなら最初からしなければいい」と言われて
その言葉が深く刺さって(納得も含め)忘れられずにいたのだけれど、
今日、何となく思ったのは、
「ごめんって謝るのは、それでも守りたい何かがあるから」
っていうこと。
混み合うライブ会場で「ごめんなさい」と言いながら人をかき分けるのは
謝って人をかき分けてでも行きたい場所がその先にあるから。
相手を不快にさせたな、と思った時とっさに「ごめん」が出るのは
不快にさせてしまったその上でも大切にしたい関係だから。


あの時「ごめん」を連発したのは(まあもちろん印象は良くなかったんだろうけど)
相手を傷つけてしまったけれどその上でも離れたくない、と思ったから。
あの時「ごめん」の一言すらくれなかったのはきっと、
離れたって困ることも悩むこともないから、なんだろうな。

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世界について。


「Your world is yours」って叫ぶ人がいて、
「The world is mine」って叫ぶ人がいて。
世界っていうのは誰のために存在するのだろう?という疑問がわいた。


「俺がルールだ」って顔で世間を闊歩する人がいて、
そういう人は得てして社会で「デキる人」として認められていて、
それをすごいなーって思いながら鏡を見たときに、
口が裂けても到底「俺がルールだ」なんて振る舞いができない私は
社会的にずっと低空飛行し続けるしかないんだろうか。
別に空高く飛びたいなんて思ってないからいいっちゃいいけど。


「今日はあなたを中心に世界が回っています!」
っていう、誕生日に届いたDMの言葉に感銘を受けたものの
翌日から364日間はやっぱり魔法が解けちゃって
(自分以外の)誰かを中心に世界は回っているんだろう、と
当然のごとく右から左へ抜けるように考え流していて。
じゃあ、誰か、って誰?
普段この世界は誰のために回っているのだろう??
わっかんないなあ。

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たとえば、誰かがとても嬉しそうに語っている思い出が
自分の思い出したくもない哀しい思い出と完全リンクしていたとしたら。
その嬉しさを分かち合うことなんて、到底できないよなあ。


たとえば、松島トモ子畑正憲のライオントークとか。

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会社を出ようと思ったけど、自転車通勤の私が通勤1時間半の先輩を
丑三つ時の会社に独り置いて帰るなんてできなくない?