Hummming

フンフンフン

でじゃびゅ

今日、会社で取締役に捕まりましてね。
あなたは真面目で優しいから潰されるまで自分を押さえ込むでしょ、
それで体を壊してしまっては勿体ないじゃない!って。
入社したての頃はもっと声出してもっと笑ってたでしょ、って。
どうすればあなたがもっと楽しく働けるか、
どうすればあなたがもっと笑顔でいられるか。
楽しく働けていないのは私の責任でもあるから、
一緒に変えていこう。
入ったばかりの頃と同じように、
朝も帰りも大きな声で挨拶するところから始めよう。


そうだけど、そうじゃないんだよ。
分かんないけど。


たぶん今でも他の人より挨拶の声は大きいよ私。
声出していこうっつったってもっと声出てない人なんて
社内にたくさんいるよきっと。
じゃなくて、自信のなさとか発言の少なさとか、
言いたいのはたぶんそういうことでしょ。
入社したての頃よりも成長したから、
あの頃よりいろいろなことを学んだから、
発言のタイミングも自信も見失ったんだよ。
私が話しても何の役にも立たないんだな、って
そう感じることが多々あった。
かと思うと、えええ!?と思うような場面で
誰かに拍手喝采が起こる。
みんなにとっては何が面白くて何が面白くないのか、
私の持つそれとのズレ幅が掴めないんだよ。
「あなたにもいいところがたくさんあるのに」
の「いいところ」ってたとえば何で、
どこにどれくらいあるのかもさっぱり分からない。


この感じ、大学のときとまったく一緒だ。
あの先生のもとで勉強したい、とゼミに入ったはいいけど
先生の考える面白さのポイントが全然共有できなくて、
ゼミのペースに追いつけなくてボカスカ怒られまくって、
高校までマイペースにのびのびと育ってきた私は
自信をことごとく失っていったんだった。
あの時はげろげろになるまでしがみついてったけど
人生初のインフルエンザも相まって
「もうやめたい・・・」と病床で母セイ子に泣きつき
ゼミをやめたのだった。
そんでフラれたりもしたのだった。関係ないか。


まあサナトリウム的なリハビリセンター的な、
スープの冷めない距離感のゼミに入れてもらったおかげで
あの時はどうにか最後までやりたい研究は続けられたし、
最終的に先生にも卒論ほめてもらえたし、
ハッピーエンドを迎えられたから良かったけれど。


まったく一緒だとしたら、
今の場所を去って、遠からず近からずな仕事を探すことになるのか。
あとフラれることになるのか。(関係ないって)
でも、学校と社会は違うもんなあ。
学校で無所属ってのは基本的にありえないけど、
社会で無所属なんて誰も困らないし全然アリだからね。
家を出て一人で暮らす今は、もう泣きつく相手もいないし。


私のためにああでもないこうでもない、と次から次へ
施策を練ってくれるのは本当にありがたいことだけれど
ようやくうまくいき始めたと思ったらあっち、
目指すところが見えてきたと思ったらこっち、
部署を転々とするのはもういやだよ。
まるでエッシャーのだまし絵みたい。
上っても上っても上昇しない階段のようで、
むしろそれこそがつらい。


そして、うすぼんやりと、やんわりと、でも確かに、
拝受しました、核心を突くメッセージ。
私のためを思ってのありがたい言葉だとは分かっていても、
そんなことを言われてしまっては、
鈍感な若造にもやっぱりこたえますわ。


今宵は島ちゃんとさっちゃんを聴いて、
全身の力を抜いて眠ることにします。