Hummming

フンフンフン

死んだ人と生きる人

今日からまたバイトです。明日から学校も再開。ま、明日は空きだけど。
今月は中旬くらいまで予定のない日がなーい。忙しくなってきたぞ。
ヘコたれないように、常に「中の上」くらいを狙っていこうと思いますが。

昨年末、とある友人のお祖父さんが亡くなられたそうで。
男のくせに、年甲斐もなく、悲しみに暮れて呆然としているらしい。
…敢えて客観的な(見方によっては否定的な)書き方をしてみたけれど
別れというのは、特に死別というのは得てしてそーいうモノだと思います。
年とか性別とか立場とか関係なく、何も考えられなくなる。
それだけその人が大好きだった、大切だったってことですよね。
素晴らしいことだと思うし、相手もそれを知ったら相当嬉しいと思う。
でもいつまでもメソメソ泣いているわけにもいかないわけで。

友人の日記に直接コメントとして書こうかとも思ったのですが
私自身に言い聞かせたい、という意味も含めて自分の日記に書きます。


何を言っても本人には気休めにすらならないんだろうけれども。

私たちはいくら大切な人のことでも、いつかは必ず忘れていってしまう。
いくら泣いてもいくら惜しんでもそれは避けられない、紛れもないことで。
でも、彼がそこに「いた」ことをできるだけ忘れないでおくのが
残された人に課された役目なのだろうと思う。
たまーに思い出したり、何かにつけてこっそり話しかけてみたり。
そうすることが彼のためでもあるし、自分のためにもなると思っている。
姿がないってのは便利なモンで、いつでもどこでも自由自在に呼び出せる。
そういう意味では「いつでも会える」し、「いつでもそばにいる」。
更に言えば、「いたことを忘れない」というよりも「いる」んだよね。
今はまだ悲しみしかないかもしれないけれど、気持ちが落ち着いたら
今年の抱負とか、自分の近況とか話しかけてみるといいんじゃないかな。

私が高校生(1年だっけ)の頃、大好きなミュージシャンが亡くなった。
ライブにも行けなかったし一度も会ったことなんてないけれど
私にとっては大きな存在だったから彼の死はあまりにもショックだった。
その後数年間、命日が近づくと私は彼にファンレターを綴ってきた。
彼の遺した楽曲に対する思い、近況報告、などなど。
綴りながら泣いたこともあったけれど、つらつらと綴っていると
まだどこかに彼がいるような気持ちになって少し嬉しかった。
今も命日の頃には必ずあのバンドのことを思い出してCDを流す。
「忘れない」っていうことが彼の生きていた証になるから。
「忘れない」っていうことが私自身の今後の支えになるから。


うーん、微妙にズレて分かりづらくなってしまったけれど
くよくよしていても始まらないよ、ってこと。
また前を向いて動き出せるようにがんばってください。

あー今日は文章がまとまらないや!寝る!