Hummming

フンフンフン

言葉について

葉谷さんの携帯写真ライブラリーを見る。


「生き返ってくれないかな。」


何てことのない風景写真にたった一言、この言葉が添えられていた。
もともと言葉数の少ないコンテンツなんだけど、これはきた。
短いけれど、すごく感情のこもった言葉だと思った。


余計なお世話だが、たぶん亡くなったお父さんへの言葉だろう。
死んでしまった人に対して「生き返ってくれないかな」と
ふと思うことは私もごくたまにある。
死んでしまったことが認められないんじゃなくて、
認めたうえで「でも、」と思ってしまうのだ。
今も、今でも、この空の下にあの人が生きていたら。
どんな話をしよう。どんな話をしてくれるだろう。


葉谷さんの言葉は、なんだか妙にずっしりとくる。
それは葉谷さんの人生が染み付いてる言葉だからかな。
言葉ってやつはその人の生き様を映し出す鏡のようなものだ。
何気なく放つ一言が輝きに満ち満ちている人、
言葉の端々に哀しみが滲み出ている文を書く人、
「死ね」なんて言葉が軽々しく口をついて出る人。
みんな違う道を通ってこれまで生きてきたんだと思い知る。
それが良いとか悪いとか言える義理なんて私にはないけれど、
言葉選びには気をつけなくちゃなぁ、と思う。


私はどんな風に思われているんだろう、とふと気になった。