Hummming

フンフンフン

むかしむかしからの

今日Twitterを見ていたら

「昔ヤンチャしたけど今は育ててくれた親にマジ感謝」系の和製ラップはいい加減聞き飽きたので、そろそろ「昔カツアゲした連中にマジ土下座」などの歌詞が望まれる。」

というツイートが流れてきた。
地味に面白いなこれ。


大人になって社会に出ていろいろな人と会ったり社会で失敗したりする中で、
自分が幼かった頃のことを思い返すことがよくある。
今思えば子どもの頃の私は相当ばかだったんだなあ、とか。
ばかっていうか、本当に頭の中がからっぽの状態で生まれてきたんだな、と。


「親がしてやれることなんてこれぐらいしかないから」
中卒の両親はそう言って私にたくさんの本を読ませ、勉強をさせた。
吹奏楽部でバンドもやっていた歳の離れた兄の影響で
レコードからカセットからラジオからテレビから、いろいろな音楽を聴いた。
おかげで勉強はわりとできるほうだったからある程度自由に進学もできたし、
頭の中は大衆音楽からニッチなものまで(それなりに)音楽の知識も増えた。
入る隙間がたくさんあったから、ありのまま、めいっぱいまで
詰め込んだ結果が今なんだと思う。


一方、近所に友達もいなかったし兄とは歳が離れていたのでケンカにもならない。
ずうっと家でテレビを見たり本を読んだり草抜きをしたりしていた結果、
人付き合いが苦手だし人と揉めても仲直りというものができない大人になった。
あーあ、もう少しインテリを鼻に掛けたりしないで
活発で社交的に当たって砕けまくっていればよかったなあ。
せっかく頭がからっぽなんだったらそういう経験も
早いうちから詰め込んでおけばよかった。これは結構肝心な場面で困る。


昔は勉強できるねー賢いねーなんてそれなりにちやほやされたんだけどなあ。
あのまま華々しく大人になっても順風満帆だと思ってたのに、全然違うなあ。
経験を積んでいくうちに、足りないところがどんどん露呈していく。
いろんな人と会ううちに、自分が井の中の蛙だったことを知る。
今の自分は、昨日今日出来上がったものなんかじゃなくて、
むかしむかしからのいろんなものの蓄積の結果なんだなあ、と思う。
たぶん、何でもそう。


良くも悪くも、しょうがないじゃんね。
今さらヤダヤダとか言ってもこの場で180度変えることなんかできない。
(もちろん、先々のためには今この場で2度3度変えることが大事だけど。)
だから半分の自信と半分の諦めを持って、「これが今の自分です」って
堂々と言えることが大事なんだなあ、って思った。


その節は、本とレコードをいっぱい与えてくれてありがとうございました。