Hummming

フンフンフン

ゆとりが出てきた

今日は涼しい。


昨日関東に久しぶりのまとまった雨をもたらした台風のせいだろうか。
台風一過のわりに、まるでケンカした二人が仲直りを申し入れる直前のような
晴れたようでいてさほど空が明るくない、ぎこちない空模様になっている。


この夏は異常な暑さの日が続いた。
これまで内陸でのみ記録されていた35℃台が日本各地でデフォルトになり
内陸ではさらに40℃近くまでのぼる日があったようだ。
だから、今日だって最高気温は30℃の予想だというのに
「何、30℃までしか上がらないの?涼しいねえ」
というリアクションになっている。
私が小学生の頃は最高気温だって8月の山場以外は29℃止まりで、
温度計が30℃を指し示したらもう耐えられなかったような記憶がある。
あれは、夏は涼しく冬暖かい千葉の外海近くだけだったのだろうか。


とにかく、ついこの間までのジリジリ灼けるような暑さから一転、
今日は涼しくて過ごしやすい初秋の気候になった。
これまで「暑い」しか信号を送ることのできなかったアタマも
(それがもともとのスペックだとかいうツッコミはないものとして!)
久々に他のことを考えるゆとりが出てきたように感じる。
Twitterを見ていると、どうやら同じ境遇の人は多そうだ。


会社の同僚に飲みに誘われた。
これといって仲は悪くないがわざわざ飲みに行くような仲でもない。
っていうか「飲みに行こうぜ」と自分から声を掛ける人間でもないはずだ。
珍しい組み合わせで飲むことが楽しみである反面、
「何か裏があるんじゃないか」と妙に勘繰りたくもなる。
どこに行こう。給料日前だから安いところにしませんか兄さん。


「お前の(丸い)笑顔は人を幸せにするから、
 笑顔でいさせてくれるようなヤツを選べよ。」
という言葉について考える。
私はどんなときに笑顔なのだろう。意外と覚えていない。
もっとも、意識して笑っているときは大抵楽しくないと思うけど。
と、いうことは、だ。意識していない、相手に対して何も考えていないときが
私が一番楽しいとき、私にとって大切なときなんだろうと思う。
いつだ、それ。


そういえば、私の好きな時間は「何も考えていないとき」だった。
公園のベンチに腰掛けたまま何も考えずにぼーっとする午後。
何も考えなくても勝手に身体が踊りだす音楽。
お酒を飲みながら全身の余計な力を抜いて観るライブ。
虚空を見つめたままひたすら湯船に浸かり続ける健康ランドの大浴場。


音楽とは、ライブとは。
その人の生き様が垣間見れるのが良いライブだと思っている、と某氏。
この辺は千差万別十人十色、みんな違った思いがあると思うんだけど、
自分大好きな私は、むしろ自分の生き様を引き出してくれるライブが好きかな。
フラッシュバックさせるような。内側から何かを想起させるような。
幼少の頃に見た童話の世界かもしれない。
バイトの帰りに自転車で走り抜けた街の匂いかもしれない。
大好きだったあの子、そうでもなかったあの子。近所のおじさん。
雨がパチパチ当たる窓。プールの底。テレビドラマで見た土手。
自分の中にある何かとリンクしたとき、初めて音楽が染み込んでくる。
自分以外に興味がない私の、数少ない外界との接点が、音楽にはあると思う。


うーん。涼しいから、いろんなことを考えてしまうな。
いい季節になってきた。