Hummming

フンフンフン

千の風になって

新大阪のホテルを後にして、十三まで歩く。
もっと栄えているのかと思ったけど、明るいのは駅前のアーケードだけで
一本外れると13時になってもシャッターの上がらない商店街が並んでいた。
けど、こういうのも嫌いじゃないな。また来ることはあるだろうか。


阪急十三駅から特急に乗って三宮まで。三宮で下車したら神戸までは歩き。
神戸は港町だというけれど、海と反対側を向けばすぐそばに山が迫っている。
地元の人は道案内に「海側」「山側」という言葉を使うらしい。
こっちはたった一本山側の通りに入りたいだけなのに、
「うええっ」と仰け反りたくなるような急勾配に返り討ちにされる。
数年前に住んでいた稲毛や川崎なんかの比じゃなかった。


神戸駅に着き、ここからはいよいよ山に入る。
私もさすがに徒歩を諦め、バスに乗ることにした。
街を通過し、山を登り始め、トンネルを抜けるバス。
「バスに乗ってよかった・・・」
本気で思った。


バスを降りる。この数百m先が墓苑らしい。
登ってきた山道を見下ろした。
木々の向こうに街が見える。そしてその向こうに大きな貨物船。
海と空の境目が霞んで見えない。上のほうまで海で、下のほうまで空だった。


墓苑の手前で仏花を買い、地図を見ながら広大な墓苑に足を踏み入れる。
日曜日には苑内バスが走っていないらしい。番号と名前を見ながら探して回る。


指定されていた番号の墓地に来た。が、ない。何だか背筋が寒くなってきた。
けどこんなにたくさんお墓があるところで「怖い」なんて言ったら
一体どれだけの霊を敵に回すんだ。民主主義的に、確実に私が負ける。
「すいません、おじゃまします、人を探してるんです」
と言い訳をしながら歩き回るものの、なかった。


近くにロータリーのような広い場所を見つけた。地図が立っている。
私が迷い込んだ場所はどうやら一番手前の墓地で、入口の入口のようだった。
ああ、どうりで。すいません皆様、お騒がせしました、と心の中で謝った。


私の目指す所はバスで4つめの停留所近く。
だがバスはないので、急勾配でとても静かな人気のない山道をひたすら歩く。
いくつか停留所を過ぎ、ようやく最寄りの停留所を通過したところで
目的の区画に辿り着いた。山の中の静かで広く開けた土地。日当たり良好。
「墓石の後ろにギターが彫ってある」
そう聞いていたのを目印に探して回り、ようやく見つけることができた。
名前の脇に小さく彫られた、かわいらしいギターの絵。
見たところ、ご家族の方と一緒に眠っているようだった。
花瓶はすっかり干からびていた。
隣のお墓にはきれいな百合の花が飾られていたけれど、私の手には菊や榊。
ちょっと変かな、と思いつつも「ないよりいいですよね」と半ば強引に飾った。


花を飾りながら、私は自然と墓石に話しかけていた。
言葉も花も今ひとつ体裁が整わなかったけれど、一つ一つ丁寧に。
まず私が何者なのか。どうしてここへ来たのか。
共通の友人がいることと、その共通の友人たちの近況。
私の身の回りのこと。感謝の気持ちと、それとお詫びの気持ち。
勝手に話しているだけなのに、涙が溢れてきた。自分でもよく分からない。
悲しいわけじゃない。「何で死んでしまったの」なんて言うつもりもないし。
感極まる話なんて一つもしていないのに、胸がいっぱいになった。
勝手に泣き出す私の話を、墓石は黙って聞いてくれた。当たり前か。


日が少し傾いてきた。
話したかったことはひとしきり話せたので、これまた勝手だが帰ることにした。
墓苑のふもとまで下っていく道で、また涙が溢れそうになった。なんでかな。

私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません・・・

お墓自体に人(やその霊とか、そのようなもの)はいないのかもしれない。
でも、生きている人たちと死んでしまった人たちとの
待ち合わせ場所くらいにはなっていると思う。
泣いたって、話しかけたって、いいんじゃないかって思う。
来てくれたのかな。ちゃんと話、聞いてくれたのかな。
突然知らない女の子が来て、勝手に喋って泣いて花を飾って帰っていって、
何事かと思ったかもしれないな。
まあ、笑いの種にでもなっていればそれでいいや。


結局何をしに来たのかは自分でもよく分からないんだけど。
それでも今、神戸へ来ることができて、本当に、良かった。
25歳を過ぎて、ちゃんと26歳になれるような気がした。