Hummming

フンフンフン

唯一無二の音を求めて

いつも休止中の友達のブログ。
こまめに更新される「休止中です」ページの
一言コメントを読むのが私の楽しみの一つなのですが。
友達のそのまた友達(たぶん知らない人)が好きな某バンドの
ギタリストが病に冒され、この夏のフェスも急遽サポートが立っていて、
そんなフェスを観に行った二人の話。

彼女はいつもGtさんの前にいるのです
RIJでの一言
「あ、ヒロさんのGtだ」
サポートさんの立位置に用意されていた楽器がいつも使用しているGtだった
音は近い
やっぱり弾く人が違うから動きやパフォーマンス、鳴らす音も違うんですね
ひとつひとつライブを消化するごとに彼女は今を焼き付けようとしてる

楽器とは非常に素直なもので、それが魅力的であり残酷でもあるのだけれど
違うメーカーや違う型なら勿論のこと、
同じメーカーの同じ型の楽器であっても
弾き手が変わるとまったく違う音が出るのです。
味というか、癖というか。良くもあり、悪くもあり、ね。
とりわけ私は弦楽器が好きなこともあって
「この人の弾くこのギターが好きだ」
「この人にこのギターを弾いてほしくない」
という(まあ、実に勝手な)ことをこの場で何度も言っていますが。


彼女たちも、サポートメンバーで演奏されるそのライブを観て、
「いつもと同じギター」で演奏される喜びと
「いつもと違う人が弾く」音に気付く哀しみに
とても複雑な心境だったんだろうな、と。
当人のギタリストが命にかかわる病に伏しているだけに、
なおのこと心細かっただろうな、と。
あの音はあの人にしか出せない。あの人のあの音が聴きたいのに。
よく似ているけれど、これじゃない・・・
察するに余りある、その心境。切なくなりました。


もし万が一、今をもって大好きな音が二度と聴けなくなったら
私は気が狂ってしまいそうですよ。
どうしよう、あり得ない。堪えられないよう。泣いても泣いても足りないよう。
・・・やばい。不要な心配だけで涙が(感受性を遺憾なく発揮中)


またギター、聴けるといいね。


そしてこのタイミングで言うと不謹慎に聞こえてしまうのがすごく残念ですが
個人的には、大好きなミュージシャンのお墓参りに行きたいです。
会いに行きたい。今もあなたの曲を聴いていると伝えてきたいのです。