Hummming

フンフンフン

無理やり「ありがとう」を言ってみる

最近は一時期ほどわーきゃー騒いでいませんが(逆に一時期がひどかったという説)、
柳澤さんのコラムはどうしても毎回チェックせざるをえません。


最新のコラムは「ありがとう」について。

たとえば、自分のまわりに自分が嫌だなと思っている人はいますか?
そういう人にこそ使うといい言葉です。


社内において人間関係でもめている人、同僚でも上司と部下でも誰でもいい。試しに嫌だなと思っている相手に、ありがとうと直接言ってみてください。


難しいって思っているでしょ?


なぜなら、相手との関係が冷え切っていればいるほど、しらじらしいイメージしかわかないからです。受け取った相手もきっと素直には受け取らずに、嘘くせーと疑いのまなざしを向けてくるでしょう。だって、自分も相手に対してありがとうなんてちっとも思ってないしね。そりゃそう思われて当然。相手がそう思うというイメージもできちゃうから、言う気になれない。


でも、言うんです。
ありがとうって。どんな風に思いながらでもいいから。


そうしたらわかります。この言葉のすごさが、自分の気持ちをしっかりと見つめている人ならわかる。絶対にわかる。なんとなくありがたい気持ちになっている。そして嫌いだった相手の嫌いな部分がちょっとだけどうでもよく思えてくる。なんか自分の方が心が寛容になり器がでかくなった気がする。同じ次元に立って物事を考えてるから、いつまでも話が平行線だということに気がつく。
147:サンクスボトル:柳澤大輔「面白法人カヤックのいきかた」

「嫌いだった相手の嫌いな部分がちょっとだけどうでもよく思えてくる」
そうそう。そうなんですよ。
「どうでもよく思えてくる」だけなんです。
「ありがとう」をよく言うから、嫌いな人がいないから、仏のような人だってわけじゃないんです。
イラッとするときだってもちろんあるし、私なんかは根に持つところがあるからむしろ質の悪いタイプ。
それでも毎日ケロッとしているのは、忘れっぽいところがあるのと、
嫌なことも平和的方法で「どうでもいいか」って消化(昇華?)できるからなんです。


そういえばこの話、柳澤さんとも一度お話をさせていただいたことがあります。
「意識的に“ありがとう”を言うようにしている」って。
家族に向かって、だったかな。一日一度は必ず言うようにしている、って。
義務的に行っていても、その言葉に自分が釣られて、気がつくと本当に感謝の気持ちが芽生えている、って。
面白いなあ、いい考え方だなあ、と思った覚えがあります。


そういう、意識改革的な意味でも、「ありがとう」は便利だなあ、と改めて。
そこまで意識が変わるのだとすると逆にそのパワーが恐ろしいですけれどもね。
まあまあいいや。話が逸れそうだ。
「ありがとう」を(無理やり)言ってみる。お試しあれ。