Hummming

フンフンフン

涙のダイアリー

今朝も起きた。
当たり前なんだけど、起きた。
大したことじゃないんだけど、最近、目覚ましを掛け忘れても
仕事には間に合う範囲の時間帯に起きている。自分で。
本当大したことじゃないんだけど、朝弱い私にとっては、これかなりすごい。


当たり前なんだけど、大したことじゃないんだけどすごいこと、って
結構あるけれどどれも小さすぎて気付かない。
それをうっとうしいほど頻繁に見つけることができる私の目は
(こころの目、って表現は25歳にもなってかなり恥ずかしいけれど言わばそういうこと)
かなり素晴らしい性能だと思うし、我ながら結構好き。


閑話休題


「こんなことをしていたら会社に遅れちゃうなあ」と思いながらも
昨夜開けなかった郵便受けを開ける。と、残暑見舞いが。
おお、タカコ先輩か。
タカコ先輩は、高校のソフトテニス部の部長だった。
部長のくせにわりと気分屋で、それに反発する人もいたけれど
気分屋なのは多かれ少なかれ誰だって一緒じゃんね。
先輩はとりわけ私と仲良くしてくれてて、一緒に帰ったり遊んだりした。
高校を卒業してからも何度か会っていたけれど、
さほど頻繁に連絡を取っていたわけではなかったから、
突然届いた残暑見舞いにちょっとびっくりした。


蝉がみんみん鳴いていて、まだ少し眠たいけど出社しなくちゃいけなくて、
いろいろ私を急きたてる要因に囲まれている中で急に懐かしい人からの季節のご挨拶。
なんだよもう、そんなギャップ泣いちゃうじゃないすか先輩。


最近、泣きそうになることがすごく多い。


今朝はもう一つ、早稲田松竹のメルマガに「今後の上映予定作品」が載っていて
9月下旬に『マディソン郡の橋』と出ているのを見ただけで
「秋の夕暮れにこんな映画を見たら切なくてたまらないだろうなあ」
と想像して泣きそうになった。
マディソン郡の橋』観たことないだろうが、私。


昨日は私の大好きなギタリストが大切なギターを売った、
っていう話を人づてに聞いて泣きそうになった。
「昔から欲しかったんだ」「憧れるあまり、最初は似てる安いギターを代わりに買った」
そんな話をニコニコしながら自慢げに話していたことを思い出す。
でも今はギターを持つ暮らしから遠ざかって、ギターよりも大切なものを手に入れて。
その上で、どうしてもギターを手放さざるを得ない時が訪れて(たぶんね)。
ギターを手放すとき、どんなことを思っただろう、って。
私には計り知れないけれど、彼にとってあのギターを売ることは、
ブックオフに読まなくなった文庫本を持って行くのとはわけが違うんじゃないかな。
だって彼はギタリストだったんだもの。
なんていうのは夢を見すぎなのかしらん。
あと、彼がギターを売ることは私にも大きな出来事だったりする。
だって私が初めて惚れたギターなんだもの。
このタイミングで、この音が入ると感動が2倍、3倍、400倍。
もう、なんていうか、泣いたよねえ。フレーズもキーも響きもばっちりで。
最終的にはあのギターを見るだけでちょっと感極まってたもんね。
これ、嘘のような本当の話だから。
そうかあ、売っちゃったんだ。そうだよね。ずーん。


よく大人の人が「歳を取って涙もろくなった」と言うけれど、
それってたぶん20代での発言ではないと思うわけ。
25歳でこんだけ泣いていたら、「歳を取っ」たときにどんだけ泣くんだっつー話。


でも、「我慢は身体によくない」って山崎まさよし先生も歌っておられるので
我慢せずに引き続きわんわん泣いていく所存です。
そんな泣き虫日記を引き続きお楽しみください。