Hummming

フンフンフン

おわった

寝る!もう絶対にパソコン点けないで寝る!
と思っていたけれどやっぱり日記だけ書いて寝る。


お昼から船橋でゼミのメンバー+先生で食事。
ロシアから帰国したばかりで時差ボケのまま来た先生は
いつもどおり憎まれ口を叩きながらも嬉しそうだった。
このメンバーでこんなに話をしたのは初めてだったなあ。


船橋成分献血をしてから塾の送別会。海浜幕張で。
血液センターの人に「今日はお酒をほどほどに」と言われるも
その忠告を完全に破って言うまでもなく生中オーダー。
わいわいと、いつもと同じように楽しく飲んできた。
思うことはいろいろあるけれど、関係者の誰もが言うように
「これでひとつの時代が終わった」のだと思う。
うーん、楽しかった。素敵な人たちに出会った。
目標にできる人もたくさんいた。勉強させてもらった。
勿論きれいごとだけじゃなくって苦手な人もいた。
それでも大好きな、捨てられない場所だった。
でも私は時代の変化に順応しきれなかった。
そこに生じた溝は結局最後まで埋まらなかった。
私は紛れもなく「ひとつの時代」の中の人間だった。
今や私は過去の人でしかなく、現在からは退くべき存在なのだ。
そうなるのは哀しいけれど自然なことなのかもしれない。
そうやって人はどっか行くんだろうな。
順応できなかったおかげで未練なく出て行ける。


「未練なく」と言うと語弊があるか。
生徒一人一人を思い出せばあーとかうーとか言いたくもなる。
でも彼らには合わせる顔がないや。きれいに別れられなかったし。
謝りたい子もたくさんいる。辞めちゃった子とか。
この仕事で何が一番辛かったって、本当のことを言えないのが。
うそをつき続けるのが辛かったなあ。それが一番いやだった。
うそをついてたけれど、きれいに別れられなかったけれど、
それでも私は私の生徒が大好きだった、ってのは本当。
いや、「大好きだ」のが正しいな。


私は今日、先生方への挨拶で言った。
成績が良くても勉強を好きにならなければその授業は失敗だ、と。
成績が悪くても勉強を好きになってくれれば成功だと思う、と。
点数が取れるだけの子やいい学校に入れた子よりも
授業を楽しみにして来てくれるできない子のほうが嬉しい。
私は塾講師だというのに、本当にそう思ってやってきた。
「英語、前よりは好きになったかも」
「俺もそう思って教えてるんですよ」
最終的にそう言ってくれる人がいた。嬉しいじゃないか。
それだけで、私の塾講師業は大成功だなあ。


もうわけわかんなくなってきたからやめとこう。
このままじゃ夜明けまで延々続きそうだし。
何も言わなければいいのにね。かっこわるいなー私。


さようなら。